人生は愛すべきクソゲー
先日とあるラノベを読んでいると、気になる話題が上がっていました。
その話題とは、『人生はクソゲー』。という主人公の主張です。
ゲームというものの評価は少なからず『神ゲー』か『クソゲー』の二択で語られることがあります。
「中毒性があり、何日でも続けていられそうなほどよくできた神ゲー」
「バグが多いからクソゲー」
といったように。
では人生をゲームに置き換えたとき、どちらになるのでしょうか。
そう問われたとき、私は『クソゲー』の方を選んでしまいます。
人生は究極の運ゲー
その理由の一つとしてこのゲームは勝敗に直結する最も重要な要素が運であるからです。
裕福な家庭に生まれる運、容姿端麗に生まれる運、いい友人に知り合う運、等々。
この時点で全ての人間が平等ではなくなります。
FPSで言えば武器の性能差やキャラの体力。
格ゲーで言えば技の火力と範囲。
ソシャゲで言えば排出率と言ったところでしょうか。
これらの要素が運によって決まるアンバランスなゲームに高評価は与えられません。
「それでも努力によってなんとかなるのでは?」
という反論もあるかもしれません。
しかしゲームというカテゴライズで人生を見るとき、 これほどに理不尽なことはありません。
ここで言う努力とはつまりプレイスキルのこと。ゲームの技術とも言えます。指先の動きだったり、反応の速さだったりのことです。
つまり弱キャラで強キャラに勝ちたければ上手くなればいい、と言っているわけです。
しかし上手い人が強キャラを使えばどうでしょう?
上手い人が強武器を持っていれば?
無課金で全てのレアキャラを揃える人間がいれば?
そんなゲームはクソゲー以外のナニモノでもありません。
それでも私たちには、これしかない
こうしてここまで、人生というゲームがいかにバランスの悪いものか語ってきました。
けれども私とて闇雲にこのゲームを批判していたわけではないのです。
突然ですが、みなさま子供の頃にゲームを買ってもらったことはあるでしょうか。
ゲームでなくてもおもちゃだったり絵本だったり。
そういうものって今でも思い出すくらい楽しめた記憶があるんですよね。
人生ってきっとそれらと同じなんです。
バランスやキャラの性能なんかは度外視で遊ぶものがそれしかないからひたすら遊ぶ。
無理矢理にでも面白いところを見つけて、何度でも。
それがこのクソゲーの楽しみ方だと私は思います。
なのでみなさま、人生に疲れてしまったらゲームをしましょう。
自分が楽しめると思ったゲームをとことんやりこみましょう。